古都・京都、古(いにしえ)の大和、湖都・近江などを自転車やウォーキングでめぐる・・・

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源氏物語『宇治十帖』の舞台・・・雨に煙る宇治を歩く
洛北の紅葉狩りを予定していたのですが、生憎の悪天候・・・急遽、宇治ウォーキングへ(^^ゞ
紫式部の五十四帖からなる『源氏物語』の第四十五帖「橋姫」~第五十四帖「夢浮橋」まで、最後の十帖は宇治が舞台で橋から始まり、橋で幕を閉じます。
宇治川に架かる宇治橋は大化2年(646年)に架橋された日本初の本格的な橋梁で三の間から、宇治川上流を眺めると山紫水明を満喫できます。
他にも朝霧橋、橘橋、喜撰橋などの橋があり、雲を染め、川面に映り揺らぐ様は水と緑豊かな美しい宇治の風光明媚な景観に心が和み、いにしえの王朝絵巻に想いを馳せます…宇治十帖古跡をめぐるのも歴史ロマンを感じさせてくれます。
※関連コラム
【山紫水明・宇治の紅葉名所めぐり】
【Pちゃんズの宇治ぽたリング】
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源氏物語・宇治十帖モニュメントと朝霧橋
宇治十帖古跡全体を象徴するモニュメントで、ヒロイン「浮舟」と「匂宮」が小舟で宇治川に漕ぎ出す場面をモチーフとしています。
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宇治神社
地域の産土神(うぶずながみ)であった離宮社は、対岸に平等院が建立されると、その鎮守社としての地位も与えられました。江戸時代迄は宇治神社と宇治上神社は一対でした。
この一帯は応神天皇の皇子で、宇治十帖の八宮(はちのみや)のモデルとも言われている「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」の邸宅跡と考えられ、皇子の亡くなった後、邸宅跡にその霊を祭ったのが両神社の縁起と伝えます。
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世界文化遺産・宇治上神社
元は下社の宇治神社と一体で平等院の鎮守社ともいわれ明治維新までは、「離宮上社」と呼ばれていました。本殿は平安時代後期に建てられた現存するわが国最古の神社建築です。
祭神は応神天皇とその皇子菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、兄の仁徳天皇とされています。境内正面の拝殿は鎌倉初期のもので、寝殿造りの様相を伝えています。
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拝殿(国宝:鎌倉期)
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本殿(国宝:平安期)
覆屋(おおいや)のある本殿には、三社が収められ、祭神は向かって右が「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)(弟)」真中が「応神天皇(父)」、左が「仁徳天皇(兄)」とされています。
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[第四十七帖・総角(あげまき)]之古跡
「あげまきに 長き契りを 結びこめ 同じところに よりもあはらん」
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大吉山(仏徳山)へ・・・えぇなぁ~(*^-^*)
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展望台から雨に煙る宇治俯瞰
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世界文化遺産・平等院
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大吉山(仏徳山)三等三角点(点名:旭山/標高:131.80m)
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興聖寺俯瞰
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石門(興聖寺)
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琴坂
桜やカエデが茂る興聖寺の入り口~三門に至る参道は、両脇を流れるせせらぎの音が琴の音色に聞こえる事から琴坂と呼ばれています。
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えぇなぁ~(*^-^*)
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中国風の三門
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興聖寺
仏徳山と号する曹洞宗永平寺派の寺で道元禅師を開山とします。道元禅師は当初、深草極楽寺の境域に一宇を建て興聖寺と号したが寺は廃絶しました。慶安元年(1648年)、淀城主・永井信濃守尚政によってこの地に再興されました。 山吹、桜、ツツジやサツキなどが多く対岸の平等院に匹敵する名所で宇治十二景の一つとされます。
法堂(はっとう:本堂)にある平安時代中期の木像聖観音立像は、源氏物語「宇治十帖」古跡(手習の社)に祀られている事から手習観音とも呼ばれます。本堂は、伏見城から移築したもので血の手形が残る天井や鴬張りの廊下などがあります。
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えぇなぁ~(´ー`)
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Beautiful~!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
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天ヶ瀬吊橋
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山紫水明やなぁ~(*^-^*)
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雨に煙っております・・・
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紅葉谷を白川へ・・・テチテチo(*^▽^*)o
いろは紅葉の錦秋が楽しめます☆⌒(*^∇゜)v
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紅葉の見頃は・・・(~ヘ~;)ウーン
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九重石塔(後冷泉帝皇后/四条皇太后・寛子供養塔/鎌倉期)
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白川
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里山の風情が・・・えぇなぁ~(*^-^*)
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金色院跡碑
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金色院遺構の総門
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えぇなぁ~(*^-^*)
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蛍ヶ淵「蛍塚」と源三位頼政の歌碑
「いさやその 蛍の数は 知らねとも 玉江の葦の みこまぬ葉そなき」
宇治川に蛍が乱舞する蛍は、頼政の亡魂になぞられ宇治の蛍合戦とも呼ばれ、
これが「源氏蛍」と呼ばれる所以といわれます。
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塔の島、朝霧橋・・・えぇなぁ~(*^-^*)
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[第四十九帖・宿木(やどりぎ)]之古跡
「やどり木と 思ひだすは 木の下の 旅寝もいかに 淋しからまし」
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浮島(塔ノ島)&喜撰橋@あじろぎの道
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日本最大の浮島十三重石塔(塔ノ島)
花崗岩製で高さ15m、我が国現存中最大の十三重石塔です。弘安9年(1286年)、奈良西大寺の僧・叡尊(興正菩薩)が宇治橋の架け替えに際して建立したもので上人は橋の流失は乱獲される魚霊の祟りであるとし殺生の罪を戒め網代を捨ててこの地に経巻共に埋め供養塔としたものと伝えます。石塔は宝暦6年(1756年)の大洪水で倒れ、約150年間埋没していたものを明治41年(1908年)に発掘されて再建されました。
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観流橋
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宇治川先陣碑
承久年間、源義経(みなもとのよしつね)と木曽義仲(きそよしなか)の合戦時に源義経旗下・佐々木四郎高綱と梶原源太景季(かげすえ)の二名が宇治川の先陣を争った故事を偲んで昭和6年(1931年)4月、帝国在郷軍人宇治分会が建てたものです。
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紫式部と宇治橋
紫式部が著した世界的に有名な古典文学「源氏物語」は全編五十四帖からなり最後の十帖は宇治を舞台にしている事から、通称「宇治十帖」と呼ばれ、そのゆかりの古跡が後世、好事家達により定められ、宇治橋を中心とした宇治川の両岸に10ヶ所点在しています。
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浮島(塔ノ島、橘島)@宇治橋三の間
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[第五十帖・東屋(あづまや)]之古跡
「さしとむる 葎(むぐら)やしげき 東屋の あまり程ふる 雨そそぎかな」

※白山神社、地蔵院は、雨が激しくなり日暮れも迫ってきたので次回へまわしました( ;∀;)
紅葉谷、白川などの写真を明るく補正しています・・・m(__)m
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錦秋の東山・・・☆⌒(*^∇゜)v
※関連コラム
『錦秋の古都・東山々麓』
『錦秋の古都・東福寺』
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洗玉潤の錦秋と東福寺三名橋の一、臥雲橋(がうんきょう)
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東福寺三名橋の一、通天橋
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えぇなぁ~ (*^-^*)
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屋上に閣を持つ類例を見ない開山塔院(常楽庵)
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洗玉潤の錦秋 ☆⌒(*^∇゜)v
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Beautiful~!!!(・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
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Wonderful~! (・_・)☆ヾ(^^ ) 欧米か?!
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色とりどり・・・えぇなぁ~ (*^-^*)
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西国三十三ヶ所観音霊場、第十五番札所・今熊野観音寺
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日本医学の発展に貢献した人を祀る医聖堂
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洛中俯瞰・・・愛宕山~北山~比叡山も一望 \(◎o◎)/!@悲田院
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真言宗智山派の総本山・智積院(ちしゃくいん)
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金堂
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えぇなぁ~ (*^-^*) @金堂
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燃えるが如く・・・京都タワー
※コラムアップは、少しお時間を賜りたく心から、お願い申し上げます・・・綾小路風に(^^ゞ 爆

夕霧太夫と清涼寺(嵯峨釈迦堂)
※関連コラム
【藤原定家ゆかりの厭離庵、夕霧太夫ゆかりの清涼寺探訪】
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夕霧太夫遺跡の碑
夕霧太夫は本名てるといい、嵯峨中院(愛宕街道に沿った清涼寺西辺り)に生まれたと伝える。
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夕霧太夫墓所
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清涼寺塔頭・薬師寺(三地蔵尊)
左から夕霧地蔵、六道地蔵、るり光地蔵
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清涼寺(嵯峨釈迦堂)
嵯峨野でも有数の古刹で五台山清涼寺と号し源氏物語の光源氏のモデルとされる平安貴族の源融(みなもとのとおる)所縁の寺です。本尊の三国伝来の釈迦仏は有名で嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)として、人々に崇拝されています。左大臣・源融(みなもとのとおる)の別荘(棲霞観:せいかかん)を源融没後、寺に改め棲霞寺(せいかじ)と号し天慶8年(945年)、源融と血縁深い式部卿宮重明親王が亡室の為に新堂を建立し金色等身の釈迦如来一体を安置し42年後の永延元年(987年)、南都東大寺の僧・念(ちょうねん)は宋より帰朝後、請来した釈迦如来像と摺本一切径を当寺に安置しました。
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仁王門(府指定文化財:江戸期)と法然上人「求道青年像」
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多宝塔(府指定文化財:江戸期)
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聖徳太子殿(夢殿)
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源融(みなもととおる)墓所
源氏物語の光源氏のモデルといわれます。
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夕霧太夫歌碑(吉井 勇)
いまもなほ なつかしとおもふ 夕霧の 墓にまうでし かへり路の雨
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えぇなぁ~(*^-^*)
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隠元筆「栴壇瑞像」の大額を掲げる本堂(釈迦堂)
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弁天堂
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えぇなぁ~(*^-^*)
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大方丈庭園
当時の面影を今に伝えます・・・えぇなぁ~(^_-)-☆
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小堀遠州作と伝えます・・・(*^-^*)
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えぇなぁ~(*^-^*)

※ピンポイント的に紹介しているのは・・・コラムできてませんから~(^▽^;)
今しばらくのご猶予を賜りたく 謹んでお願い申し上げますm(__)m綾小路風に・・・(^^ゞ爆

非公開寺(11~12月特別公開)・厭離庵(えんりあん)の茶席・時雨亭
六世・常覚尼が茶道を志し、藤原定家の御歌に因んで、定家の山荘・時雨亭再興の意をふまえて、
大正12年、茶席・時雨亭は四畳向切、床は枡床、塗りがまち、書院窓に文机あり、桂離宮より模す。
天井は、葦の化粧天井で広縁は苔寺の湘南亭を模し、屋根裏は傘を想わせ、情緒豊かです。
当時、裏千家出入りの数奇屋大工・岡田永斉によって建てられました。
※関連コラム
【藤原定家ゆかりの厭離庵、夕霧太夫ゆかりの清涼寺探訪】
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お半、長右衛門供養塔
江戸時代の狂言作者によって作られた浄瑠璃「お半、長右衛門桂川連理柵」は、義理人情に縛られた二人の男女が桂川で心中するという慈恋物語を戯曲化したもので、後世これに因んで当地に供養塔をこしらえたと思われます。
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塔は大小二基の自然石からなり、表に法華塔とのみ記し、裏に文化13年(1816年)梅津講中とあるから、或いは桂川氾濫の犠牲者の供養塔とも思われています。
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月が渡るのごとく・・・名橋・渡月橋と色づき始めた嵐山 えぇなぁ~(*^-^*)
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平家物語ゆかりの琴きヽ橋跡碑
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厭離庵の茶席・時雨亭
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裏千家出入りの数奇屋大工・岡田永斉によって建てられました。
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広縁は苔寺の湘南亭を模した茶席
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止め石、関守石
握りこぶしほどの石に、棕櫚縄を十文字にかけた石で
「ここから先に入ってはいけません」という立ち入り禁止を意味します。
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桂離宮に模した茶席内
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四畳向切の茶席内
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天井は、葦の化粧天井
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傘のような屋根裏
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広縁から眺める庭園・・・えぇなぁ~(*^-^*)

管理人一押し!!!☆⌒(*^∇゜)v 藤原定家、小倉百人一首編纂の地・厭離庵(えんりあん)
念願の厭離庵へ行ってきました~☆⌒(*^∇゜)v
もと愛宕の中院があったところで藤原定家が百人一首を編纂した山荘跡があった所と伝えます。
久しく荒廃していたが近年に冷税泉家によって再興され、霊元法皇より「厭離庵」の寺号を賜り臨済宗天龍寺派の寺となりました。明治43年、山岡鉄舟の娘、素心尼が庵主に就き、それ以後尼寺となりました。西南の竹林は善光寺山と言われ時雨亭があったと伝え、境内には茶室・時雨亭、藤原定家塚、定家が小倉百人一首を染筆する時に筆洗いに使った柳の井があります。
定家が書き記した「名月記」に彼の嵯峨山荘は、常寂光寺の北方、小倉山麓にあったものと思われ、この地は定家の嫡子・為家の妻父・宇都宮入道頼綱(蓮生入道)が定家の嵯峨山荘近くの当地に中院に別荘を建てるにあたり、障子に貼る色紙を定家に依頼した。
早速、定家が多くの勅撰和歌集の中から百人一首ずつを編纂したが、この時、後鳥羽、順徳両帝の歌がなく、その代わりに百人一首にない三人の歌が入って合計百一人であったと伝え、後日、為家によって補訂されたのが現在の百人一首です。紅葉の名所として知られ、紅葉の時期(11月~12月)のみ拝観が出来ます。
※関連コラム
【藤原定家ゆかりの厭離庵、夕霧太夫ゆかりの清涼寺探訪】
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竹林の間を抜ける静寂な参道
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参道の行くつく先にある詫びな茅葺の山門
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庭園
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えぇなぁ~(*^-^*)
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非公開寺ですが手入れが行き届いた見事な苔生す庭園
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11月~12月の紅葉時分にのみ特別公開されています・・・
拝観料500円
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定家塚
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井戸 えぇなぁ~(*^-^*)
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やっぱり・・・えぇなぁ~
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非公開でありながら知る人ぞ知る 素晴らしい名庭園です。(*^-^*)
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厭離庵の厭(えんり)は飽きる(厭きる)を意味し厭離庵は厭きることのない庵
時間が止まったような静寂さ・・・いつまでも眺めていたいと思える庵です。
知る人ぞ知る、嵯峨野の隠れスポットに☆☆☆☆☆ 5つ☆⌒(*^∇゜)v
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書院
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茶席・時雨亭
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柳の井
700年以上経った今も清く湧き出る水は、定家が百人一首を編纂する時に筆を洗ったと伝える。
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為家卿之墓
藤原定家の子・為家は建治元年(1275年)に死去、厭離庵の東に埋葬されたと伝えられ、
「中院入道前大納言藤原為家卿之墓」という石碑が傍らに立っています。
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慈眼堂(中院観音)
定家の念持仏 (本尊:十一面千手観音立像)、定家・為家等の位牌、毘沙門天立像が祀られ
定家、為家の法要も行われます。

小倉百人一首編纂の地・・・藤原定家の時雨亭伝承地を訪ねて
小倉百人一首・・・鎌倉期の歌人・藤原定家の嫡子・為家の妻父・宇都宮入道頼綱(蓮生入道)が定家の嵯峨山荘近くの当地に中院に別荘を建てるにあたり、障子に貼る色紙を定家に依頼した。
早速、定家が多くの勅撰和歌集の中から百人一首ずつを編纂したが、この時、後鳥羽、順徳両帝の歌がなく、その代わりに百人一首にない三人の歌が入って合計百一人であったと伝え、
後日、為家によって補訂されたのが現在の百人一首です。
定家が百人一首を選定したと伝える時雨亭(しぐれてい)の伝承地は嵯峨に三ヶ所あると言われます。今回は、三ヶ所ある定家ゆかりの時雨亭跡を訪ねてきました。

※関連コラム
『小倉百人一首編纂の地・藤原定家の時雨亭を訪ねて・・・』
『Deep Impact!!! 秋の嵐山、嵯峨野路めぐり』
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嵯峨野屈指の紅葉の名所・常寂光寺(じょうじゃっこうじ)
藤原定家が小倉山百人一首を編纂した時雨亭跡があります。
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常寂光寺のシンボル的な茅葺の仁王門
Deep Impact?! (^_^;)\(^。^。) 欧米か?!
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定家山荘跡、歌碑
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定家山荘跡、小倉百人一首編纂の地碑
以前は、この辺りに時雨亭跡がありました。
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えぇなぁ~(*^-^*)
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本堂(伏見城遺構:客殿)
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Deep Impact?! (^_^;)\(^。^。) 欧米か?!
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多宝塔(重要文化財:江戸期)
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藤原定家・家隆の木像を奉る謌僊祠(かせんし:歌仙祠)」
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藤原定家の時雨亭跡
常寂光寺のシンボル的な茅葺の仁王門近くから移転しました。
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二尊院(総門:伏見城遺構:薬医門)
小倉山と号し明治以降、天台宗延暦寺に属する寺院で正しくは、小倉山二尊教院華台寺(けだいじ)といいます。寺名の由来は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像によります。
平安時代初期の承和年間(834~847年)に嵯峨天皇が慈覚大師に勅して建立した華台寺跡と伝え、久しく荒廃していたのを鎌倉時代に法然上人の高弟・正信房湛空(たんくう)によって再興されました。湛空は土御門、後嵯峨二帝の戒師となり大いに堂宇を再建したが、応仁・文明の乱によって堂宇伽藍が全焼したが、その後、三条西家実隆父子の帰依により再興され、豊臣、徳川二氏も寺禄を寄せ寺運も栄えました。
境内の墓地には、角倉了以、三条実美、阪東妻三郎(田村正和、亮の父)の墓所があります。
紅葉の馬場と呼ばれる参道は、紅葉の名所として知られ境内ま奥には、藤原定家が百人一首を選定したと伝える時雨亭跡もあります。
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えぇなぁ~(*^-^*)
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小倉餡発祥碑とモニュメント「真」
当地は、小倉餡発祥の地なのです・・・(^_-)
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三帝陵
右から土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇の分骨が安置されている。
石造宝篋印塔ら石造塔は重要美術品(鎌倉期)に指定されています。
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藤原定家が百人一首を編纂した時雨亭跡
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厭離庵(えんりあん)
臨済宗天龍寺派の尼寺ですが、当地は定家が百人一首を編纂した山荘跡があった所と伝えます。
境内には、茶室時雨亭、藤原定家塚、定家が筆洗いに使った柳の井があり、紅葉の名所として知られ、紅葉の時期(11月~12月)のみ拝観が出来ます。
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特別拝観されてますが閉門されてます・・・(ノ◇≦。)
時雨亭伝承地は、小倉山にある常寂光寺、二尊院、そして厭離庵の三ヶ所です。
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