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小倉百人一首編纂の地・・・藤原定家の時雨亭伝承地を訪ねて
小倉百人一首・・・鎌倉期の歌人・藤原定家の嫡子・為家の妻父・宇都宮入道頼綱(蓮生入道)が定家の嵯峨山荘近くの当地に中院に別荘を建てるにあたり、障子に貼る色紙を定家に依頼した。
早速、定家が多くの勅撰和歌集の中から百人一首ずつを編纂したが、この時、後鳥羽、順徳両帝の歌がなく、その代わりに百人一首にない三人の歌が入って合計百一人であったと伝え、
後日、為家によって補訂されたのが現在の百人一首です。
定家が百人一首を選定したと伝える時雨亭(しぐれてい)の伝承地は嵯峨に三ヶ所あると言われます。今回は、三ヶ所ある定家ゆかりの時雨亭跡を訪ねてきました。

※関連コラム
『小倉百人一首編纂の地・藤原定家の時雨亭を訪ねて・・・』
『Deep Impact!!! 秋の嵐山、嵯峨野路めぐり』
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嵯峨野屈指の紅葉の名所・常寂光寺(じょうじゃっこうじ)
藤原定家が小倉山百人一首を編纂した時雨亭跡があります。
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常寂光寺のシンボル的な茅葺の仁王門
Deep Impact?! (^_^;)\(^。^。) 欧米か?!
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定家山荘跡、歌碑
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定家山荘跡、小倉百人一首編纂の地碑
以前は、この辺りに時雨亭跡がありました。
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えぇなぁ~(*^-^*)
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本堂(伏見城遺構:客殿)
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Deep Impact?! (^_^;)\(^。^。) 欧米か?!
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多宝塔(重要文化財:江戸期)
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藤原定家・家隆の木像を奉る謌僊祠(かせんし:歌仙祠)」
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藤原定家の時雨亭跡
常寂光寺のシンボル的な茅葺の仁王門近くから移転しました。
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二尊院(総門:伏見城遺構:薬医門)
小倉山と号し明治以降、天台宗延暦寺に属する寺院で正しくは、小倉山二尊教院華台寺(けだいじ)といいます。寺名の由来は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像によります。
平安時代初期の承和年間(834~847年)に嵯峨天皇が慈覚大師に勅して建立した華台寺跡と伝え、久しく荒廃していたのを鎌倉時代に法然上人の高弟・正信房湛空(たんくう)によって再興されました。湛空は土御門、後嵯峨二帝の戒師となり大いに堂宇を再建したが、応仁・文明の乱によって堂宇伽藍が全焼したが、その後、三条西家実隆父子の帰依により再興され、豊臣、徳川二氏も寺禄を寄せ寺運も栄えました。
境内の墓地には、角倉了以、三条実美、阪東妻三郎(田村正和、亮の父)の墓所があります。
紅葉の馬場と呼ばれる参道は、紅葉の名所として知られ境内ま奥には、藤原定家が百人一首を選定したと伝える時雨亭跡もあります。
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えぇなぁ~(*^-^*)
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小倉餡発祥碑とモニュメント「真」
当地は、小倉餡発祥の地なのです・・・(^_-)
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三帝陵
右から土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇の分骨が安置されている。
石造宝篋印塔ら石造塔は重要美術品(鎌倉期)に指定されています。
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藤原定家が百人一首を編纂した時雨亭跡
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厭離庵(えんりあん)
臨済宗天龍寺派の尼寺ですが、当地は定家が百人一首を編纂した山荘跡があった所と伝えます。
境内には、茶室時雨亭、藤原定家塚、定家が筆洗いに使った柳の井があり、紅葉の名所として知られ、紅葉の時期(11月~12月)のみ拝観が出来ます。
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特別拝観されてますが閉門されてます・・・(ノ◇≦。)
時雨亭伝承地は、小倉山にある常寂光寺、二尊院、そして厭離庵の三ヶ所です。
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