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わが城下町・・・伏見「深草、稲荷」
伊奈利社創祀前史(伏見稲荷大社)
欽明天皇が即位(539または531年)される前のことについて、『日本書紀』では次のように書かれています。
稲荷大神のご鎮座は秦伊呂巨(具:はたのいろこぐ)によって和銅4年(711年)2月初午の日に、なったと伝えられており、秦大津父とこの伊呂巨(具)との200年たらずの脈絡については、ほとんど不明です。
しかし不明であるから全く関連はないとは言えないでしょう。深草の里が早くから開拓されて、人の住むところであったことは深草弥生遺跡に見ることができます・・・略
太秦の秦氏族は、記録上では大宝元年(701年)、桂川畔にそびえる松尾山に松尾神を奉鎮、
深草の秦氏族は、和銅4年(711年)稲荷山三ケ峰の平らな処に稲荷神を奉鎮し山城盆地を中心にして御神威赫々たる大神があたかも鼎立する結果となったのです・・・
※関連コラム
【稲荷山迷宮探訪】
【伏見歴史蹟チャリン覇(その二)】
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撞木町遊郭跡
慶長9年(1604年)、渡辺掃部、前原八右衛門の両名により開設されました。伏見の発展と共に元禄期(1688~1704年)全盛を迎え、忠臣蔵で知られる、元赤穂藩家老・大石良雄(内蔵助)が敵の目を欺く為、この地で遊興した事で知られます。
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撞木町遊郭遊郭之碑
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大石良雄〔内蔵助〕遊興の地碑
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藤森神社(勝運の神)
創建は平安遷都以前に遡り、神功皇后が三韓征伐より凱旋後、この地に纛旗(とうき)と兵器を埋納した事が起こりと伝わります。早良(さわら)親王は天応元年(781年)、蒙古追討にあたり当社に詣で戦勝祈願されたと伝わり、係る伝承などから祭神は神功皇后を初め、武内宿禰(すくね)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、別雷(わけいかづち)神、日本武尊(やまとたけるのみこと)、応神天皇、仁徳天皇、天武天皇、舎人親王、井上内親王、早良(さわら)親王、伊予親王と12柱に及ぶ神々を奉祀しています。祭神の中には怨霊と恐れられた井上内親王、早良親王、伊予親王などの名もあり駈馬、相撲、騎射、猿楽などは御霊会において怨霊を鎮める行事だと伝わります。
藤森神社としての社名は室町時代以後で、「真幡寸神社」、「藤尾社」、「塚本社」など諸社を合祀して藤森神社とされました。
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伏見七名水の一・不二の水井
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わが国最古の鉄道遺構「ランプ小屋」
明治12年(1879年)8月18日、京都、稲荷、山科(勧修寺)、大谷間13.1kmが仮営業され、JR稲荷駅の歴史が始まる。翌13年6月28日には逢坂山トンネルが開通し、京都・大津間が、開通。
大正10年(1923年)、東山トンネルができ現路線に至るまで東海道線の路線でした。
鉄道史の名残が赤煉瓦造りのランプ小屋である。
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伏見稲荷大社
一千年前に清少納言も足を運んだと言われている稲荷山・・・
稲荷山は「東山三十六峰」の、最南端に位置する霊峰(海抜233m)で古くから三ケ峰と呼ばれてきたように三つの峰が西から東へと段々に高く連なりこれを山麓から仰ぐと、まさしく降臨の地に相応しい山容をそなえています。
全国の稲荷信仰は、この神体山信仰に始まっていると言われています。
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お山巡拝へ
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千本鳥居
独特で神秘的な雰囲気を醸し出す鳥居のトンネル・・・
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延々と鳥居が連なる参道
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稲荷山最高峰の一ノ峰(上之社神蹟)
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清少納言が、枕草子で大変に苦しい思いをしたと書いている急勾配な200段の石段
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稲荷山ミステリーゾーン・・・稲荷山最大のお滝場・清明滝
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お山めぐりで人気のある狐の手水
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荒神峰から四ツ辻では見えなかった京都市内の絶景を拝せます!o(*^▽^*)o
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ニャ、ニャンと・・神遣いのおキツネさん? (^▽^;)爆
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