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古都・京都、古(いにしえ)の大和、湖都・近江などを自転車やウォーキングでめぐる・・・

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わが城下町・・・伏見「日野、醍醐」
醍醐の山に理源大師が登られた時、仙人が現れ、この水は醍醐味(大変に美味)であるとその水を教えました。大師はその水を元として大伽藍を創立し上醍醐、下醍醐の寺が出来たと云われています・・・
慶長3年(1598年)、豊臣秀吉は下醍醐の再建に着手。3月15日、民衆をいやすため『醍醐の花見』を盛大に催しました。日野は、日野家の領地で、法界寺には藤原時代の平安貴族文化が、現存します。親鸞聖人生誕の地でもあり、鴨長明が『方丈記』を記した所〔長明方丈石〕でもあります。
★ 醍醐味とは「乳酪蘇中の微妙第一にして能く諸病を除き、諸々の有情をして心身安楽ならしむ」と説いています。
醍醐味〔チーズやヨーグルト味?〕とは、人生で味わっても味わい尽くせない微妙なものをいい仏教の教えを糧として「醍醐」とも言います。
※関連コラム
【洛南(伏見、宇治)~洛東(山科、東山)~洛中(上京、中京、下京)~洛南(伏見)ぐるリン破】
【「伏見歴史蹟チャリン覇(その三)】
【伏見、宇治ラストぽたぽたポタリング】

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伏見といえば酒蔵
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芙蓉の花が美しい(*^-^*)
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十石舟・弁天橋乗船場
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近鉄京都線・澱川鉄橋(有形文化財:昭和期)
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三十石船
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ヒマワリ
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宇治へ向けて疾走する おけいはん
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タイムスリップしたような風情・・・日野の里
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法界寺(日野薬師)
真言宗醍醐派の古刹で、日野薬師とも言われ、一般に安産・授乳に霊験のあるお寺として知られています。弘仁13年(822年)、藤原家宗が薬師如来を祀ったのが始まりで、永承6年(1051年)、藤原氏一族、日野資業(ひのすけなり)が薬師堂を建立した寺院で「阿弥陀堂(国宝)」は兵火をかいくぐって残り、藤原時代の遺構として宇治・平等院鳳凰堂、大原三千院・往生極楽院や岩手県・中尊寺金色堂と並び貴重な平安時代の代表的な遺構とされる建物です。本尊の阿弥陀如来坐像も国宝に指定されています。
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清々しい境内
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阿弥陀堂と本堂(薬師堂)
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放生池に花咲くハス
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親鸞聖人産湯の井戸、胞衣塚(えなづか)
親鸞聖人の誕生時に産湯に使われた閼伽井(あかい)の水で「産湯の井戸」と伝えられています。聖人の「えな」(胞衣:胎児を包む膜と胎盤)を埋納したという胞衣塚(えなづか)があります。
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胞衣塚(えなづか)
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産湯の井戸
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日野誕生院
本願寺第20代・広如宗主の文政11年(1828年)9月、宗主・親鸞聖人の誕生地である日野を顕彰して1つの堂宇が建てられたのが日野誕生院の始まりです。
親鸞聖人の父・日野有範(ありのり)卿に因んで有範堂とも宝物堂とも言われた。
前代の本如宗主は、宗主の顕彰に熱意を示し、学僧に当地の調査をさせたり、日野家の菩提寺・法界寺との交渉をしました。文久2年(1862年)、講持の為、京都の同行の間に日野誕生講が結ばれました。第21代宗主・明如は、明治11年(1878年)、堂宇を日野別堂と改名、大正12年(1923年)、立教開宗700年記念の慶讃法要が営まれたのを契機に堂宇の一大改宗が計画され第23代宗主・勝如の昭和3年(1928年)5月、着工され昭和6年(1931年)5月、本堂が完成し落慶法要が営まれました。
この時に、日野誕生院と改名され現在に至ります。
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誕生院
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歌碑(左)と親鸞聖人童形の像(発心の像)
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日野の里も宅地開発が急速に進んできました・・・
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日野家廟所
誕生院の北東傍に日野家の墓所があり日野家の先祖である真夏卿、有範卿、吉光女(きっこうにょ)などの五輪塔婆が並んでいます。
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季節の移ろいを感じます・・・(⌒▽⌒)えぇなぁ~
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従三位平重衝(しげひら)卿墓
平清盛の五男で三位中将・平重衝は、一の谷の合戦で捕らわれ文治元年(1185年)6月、大津~醍醐路を経て大和に向かう途中、日野へ立ち寄り北の方(妻)と今生の別れを惜しんだ。
同年6月23日、大和・木津河原で処刑され遺骸は当地に埋葬されたと伝える。2人が相会した河原を阿以波川(現、合場川)、重衝が別離の情を琴の音に託した所以から琴弾山と称すると伝えます。
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醍醐寺(世界文化遺産)
真言宗を学んだ理源大師が山中で修行を積もうと、貞観16年(874年)、笠取山々上に草庵を建てた事に始まり山岳信仰の拠点となり薬師堂・五大堂などが次々と建ち、上醍醐が形成されました。
延喜7年(907年)、醍醐天皇の帰依によって朝廷の保護を受ける御願寺(ごがんじ)となり、朱雀・村上天皇の帰依により発展を遂げ、山麓にも伽藍を広げ金堂(こんどう)の前身となる釈迦堂が延長4年(926年)、五重塔が天暦5年(951年)に落成し醍醐寺は、山の上(上醍醐)と下(下醍醐)に伽藍を連ねる大寺院となりました。
山の上下にまたがる約8万坪にもおよぶ寺域の広さ、伽藍の規模などは、洛南随一と言われ、上醍醐は西国33カ所巡り第11番札所の准胝(じゅんてい)堂、薬師堂、如意輪堂など佇まいです。
山麓の下醍醐には、桃山時代の豪華絢爛さが漂う三宝院(さんぼういん)、京都府で現存最古にあたる木造建築の五重塔、霊宝館などがあります。
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西総門~仁王門参道
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三宝院
永久3年(1115年)、醍醐寺第14世座主・勝覚が創建した醍醐寺塔頭。
応仁の乱の戦火で焼けたが、慶長3年(1598年)豊臣秀吉の援助で再興されました。
安土桃山建築の豪華さで秀吉の権勢と桃山時代を偲ばせます。
襖絵に彩られた葵の間、勅使の間(重文)に続く表書院(国宝)は長谷川等伯一派の襖絵をめぐらせる。その奥の純浄観(重文)は秀吉が北政所、淀殿ら女房衆と大観桜宴を催した時、醍醐寺境内に建てられたものを移築した建物。豪壮雄大な庭園は秀吉の設計と伝えます。
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唐門(勅使門@三宝院/国宝:桃山期)
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仁王門(西大門/京都府指定文化財:桃山期)
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朱雀天皇醍醐陵
人皇61代・朱雀天皇は醍醐天皇の13番目の皇子で延長元年(923年)藤原忠平の五条第において降誕され8才で即位しました。在位16年で天暦6年(952年)8月15日、30才で崩御されました。
同月20日、来定寺の北野(東山区泉湧寺雀森町)で火葬し父帝の醍醐陵の傍に葬られました。
江戸時代、人家の後方の竹薮に覆われていましたが元治元年(1864年)に修治され現在の陵は方形とし墳丘を造らず鬱蒼とした樹木に覆われています。
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醍醐天皇後山科陵
円形で墳丘を造らずに平とし周囲に空堀をめぐらしています。天皇は敦仁(あつきみ)といい、宇多天皇の第一皇子として仁和元年(885年)、降誕され母は藤原胤子。
13才で即位し菅原道真を登用し国を統治したので世に延喜の世と称せられました。「三代実録」、「古今和歌集」が撰修されたのもこの時期です。在位33年、延長8年(930年)9月29日に46才で崩御されました。元は山稜を築かず平地に卒塔婆三基を建て周囲に空堀をめぐらせただけだったと伝えます。
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山科の里
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